2023年9月25日月曜日

エッセイ|忘れ得ぬ久美浜|京都

テーマ:『忘れる』

年に2回ほど日本をローカル線で旅をしている。もう20年以上にもなる。例えば2023年の9月には京都府を北から南まで9日間かけて巡る旅をした。移動は9割が鉄道。東京都大田区から遅めの朝に出発して小田原・浜松・名古屋などをのんびり進み、京都駅に到着したのは日暮れ頃だった。

京都の日暮れ

昔の人は、移動といえば歩くことが主な手段だった。江戸から京都までも基本は歩く。人間はすごかったのである。いや、今でも歩こうと思えばできるはずで、それを思うと人間には可能性が満ちていると感じる。ローカル線で車窓を見ながらいつもそんなことを思う。

列車で移動中のことはほとんど記憶に残らない。ただ、幾つかの景色は脳裏に焼き付く。例えば東海道線。小田原を過ぎてしばらくすると、突如として窓の向こうに海が広がる。晴れていれば水平線の辺りまでキラキラと眩しい。わずかなその一区間はあまりに劇的すぎるから記憶に残るのかもしれない。

「忘れることができない」という人が世界には少数ながら存在するらしい。ハイパーサイメシア(超記憶症候群)やサヴァン症候群といった名前がある。勉強や試験に有利かと思えるが、事はそう単純ではない。つらい記憶や嫌な体験、そのすべてを忘れられないとしたら、あなたはどう思うだろう。実際に、重度の知的障害や自閉症で介護を要する場合が多いという。もし列車の車窓を隅々までずっと記憶できるとしたら、想像すると何やら恐ろしい。四六時中どこかを移動している錯覚に苛(さいな)まれるのではないか。

京都府全体

京都は古都のイメージが強い。しかし「府」全体では南北に長く伸びている。南は奈良県に接し、北は日本海に面しているとは、どのくらいの人が知っているだろうか。府内を通る列車を使って京都中心部から北に向かうには、山陰本線のルート1本しかない。北へ向かう途中、とある御縁で園部(そのべ)にある生身天満宮(いきみてんまんぐう)に立ち寄った。菅原道真公ゆかりの日本最古の天満宮である。芸能人も訪れて授かるという「しごとのお守り 天晴れる」が就活や出世祈願に人気だ。

日本海に面する北部には舞鶴・宮津・与謝野・久美浜(くみはま)など港町が多く、今回ひと通り立ち寄ることができた。天下の京に近い港町は、相当に古い時代からいずれも重要な拠点だったに違いない。但し時代が進むにつれて丹後地域の港町はやや勢力を弱めた気配がある。それでも天橋立(あまのはしだて)や伊根の舟屋(いねのふなや)など観光資源は豊富だ。

久美浜駅

この旅で一つの目的地としていたのが久美浜である。日本海に面し、兵庫県に隣接する西北端の町には、久美浜湾がさざ波を立てている。浅瀬の入江が深く入り込む湾の奥、小さな港町にある丹後鉄道久美浜駅に降り立った。レンタサイクルで湾を一周するのに2時間ほどとのこと。湾を時計回りに巡ってみることにした。スタッフの女性は年代としては子育てが一段落した頃合いだろうか、どこか謙虚で押し付けがましくない人当たりの良さがある。久美浜の人は皆こうなのだろうか。

久美浜湾

久美浜湾は大きな砂州(さす)を持つ。湾の入口で海流が徐々に陸地を作り、やがて巨大な腕でせき止めたような格好の地形になった。手の先は少しあいているため海水の出入りもある。汽水湖に近い潟湖(かたこ)と呼ばれるそうだが、こうした地形的な話は眠気を誘うかもしれない。ここで先に温泉のことを書くことにする。

久美浜湾の周辺には温泉ホテルなどの宿泊施設が多くある。近隣の海沿いにも夕日ヶ浦温泉や間人(たいざ)温泉などが存在する。今回どの温泉にも入れなかったことは大変な心残りである(「たいざ」とは本当に不思議な読み方で興味が尽きない)。温泉だけではなく食のほうも気になるところ。久美浜湾では牡蠣の養殖が盛んだし、蟹も含めて海の幸は幸福感を与えてくれるはずである。次に訪れる機会があるなら、この近辺で宿泊して夕日を眺める時間を持ちたい。

砂州の上の道路は内湾に接している

地形の話に戻る。湾を塞ぐ巨大な「腕」である砂州の上は、ごく普通に道路が通っている。自転車で通ってみると想像していたよりも陸地部分が広い。この砂州を含む景色には「小天橋(しょうてんきょう)」と名がついている。天橋立と地形が似ていることから名付けられた。ただ「小」と言えるかどうか。地図上で見れば細い陸地だが、民家や宿泊施設が立ち並ぶ充分な町としての広さがある。とても砂州の上にいるようには思えない。この砂州への興味から久美浜に来てみたが、実際に現地を訪れるというのは想像と現実の溝が埋まる瞬間でもある。

ふと「腕」の日本海側へ出てみようと思った。首が5mも伸びれば日本海が見えるはずだが、普通の首では道路上から海は見えない。日本海側が「腕」の外側だとすると、自転車は「腕」の内側を西から東に進んでいる。外側の海へ出るには北に向かって細道に入らねばならない。細道は次第に砂混じりになり、ついに自転車を押して歩かねばならない砂の道になった。

海を見晴らせる場所にようやく立つと、言葉にならない声が思わず漏れた。そこには美しい砂浜が続く見事なオーシャンビューが広がっていたのである。
日本海のオーシャンビュー

日本海の海は深いブルーが特徴だが、その青と白い砂浜のコントラストが実に見事だった。この景色は人生でも一度見られるかどうか。海へ出ようとふと思った自分を有難く感じた。

日常と比較して旅はこのように記憶に残りやすい。初めて訪れる場所の多くは脳にとって劇的なのだろう。思い返してみると「劇的」か「大変」なことをより鮮明に覚えている。自転車での久美浜湾一周でも、登り坂が意外と多かったり、展望台がある小さな山に汗だくで登ったりと大変なことも多かった。その一方で前述のオーシャンビューである。それらは、覚えているというよりも逆に「忘れる」ことが出来ないと言えるかもしれない。

とは言うものの、旅で忘れることが出来ない記憶というのは全体の時間で1割にも満たない気がする。大半の時間は列車の移動中と同様に忘れ去る。せめて思い出すきっかけになればと、できる限りその日のうちに記憶を絞り出して旅日記に書く。今これを書けているのはそのお蔭だと言ってもいい。

人間はなぜ「忘れる」のだろう。旅を通して思うのは、生命としての自分が「今」を生きることで必死だからではないか。ご飯を食べるか否か、真っ直ぐ行くか曲がるか、進むか止まるか、その刻々変化する「今」を取捨選択して生きねばならない。過去の記憶で脳が溢れ返れば「今」が疎かになる。忘れることで「今」の自分を守り、維持しているのかもしれない。

都会の宇治市

旅の終盤、京都府の南側の宇治などを巡ったが、北側ほど記憶が鮮明ではない。滞在日数が少なかったこともあるが、路線沿いの多くは都会化されて「大変」な機会がほとんどなかったからかもしれない。しかし脳への刺激が穏やかな分、スケッチ画のような優しい記憶は残っている。

ずいぶん書き散らかしてしまった。京都から東京までの帰りは、本来ならローカル線で帰るところだが新幹線を使ってしまった。飲み友達からの誘いがあったからだ。夜にその足で都内のお店に入った。旅日記を見返して、忘れていたそのことを思い出した。

本エッセイは、『市民による市民のためのちいさなDIYマガジン「Link -リンク-」vol.19 春号』にも掲載されました。(発行:おおたFab、東京都大田区西蒲田4-7-7 6F/発行日 2025.04.01/https://ot-fb.com/shop

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