2026年5月15日金曜日

写真|天草島原長崎の旅③|長崎~早岐(長崎)

天草島原長崎の旅(2026/5/16〜5/28):『長崎編』

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まだ見ぬ日本の地を巡り、歴史資料館を巡る旅。天草・島原・長崎の3編に分けてお届けします。

ちょっと地理人情

なぜ長崎は貿易港として栄えたのか

その理由は、三方を山に囲まれた天然の良港というのが一つ。外海の風や波を山が遮るため、帆船の時代には船を安心して停められる港の条件がそろっていた。そしてアジア大陸に面していたことも一つだったろう。1571年、大村純忠(すみただ)がこの地を開港すると、ポルトガル船が来航するようになる。江戸時代に入って幕府が海外との窓口を絞ると、1636年には港内に扇形の人工島・出島が築かれ、1641年には平戸にあったオランダ商館がここへ移された。以後、長崎はヨーロッパと日本をつなぐ数少ない窓口となった。山が海に迫るわずかな土地だからこそ、坂の多い町並みが生まれた。上りはツラいが、見下ろす景色は何にも代えがたい。

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ちょっと地理人情

岩礁を島に変えた石炭

端島(軍艦島)よりも前に高島が炭鉱として開発されていたのは興味深い。高島は別名「猫島」とも言われる。人間よりも猫が多く暮らす島だそうだ。高島では江戸時代から石炭が掘られる歴史を持つ。1868 年、グラバーが佐賀藩と共同で深さ 43 メートルの竪坑を掘り、日本で初めて蒸気機関を使った採炭を始めた。この技術が、のちに端島の開発へとつながっていく。端島よりも数倍大きい高島には現在も人が暮らし、ほとんどは漁業や観光で生計を立てているそうだ。端島のことも少し加える。もとの端島は、南北 320 メートル、東西 120 メートルほどの岩礁にすぎず、6 回の埋め立てで現在の大きさの人工島となり、1960 年頃には 5 千人を超える人々が暮らした。その人口密度は当時の東京の約 9 倍といわれる。

ちょっと地理人情

なぜ稲佐山はうまい具合に長崎市を見下ろす位置にあるのか

稲佐山は標高 333 メートル。港をはさんで長崎の市街地と向かい合うこの山はもともとは火山の産物である。はるか昔、長崎には高さ1,500メートルを超える火山があったとされ、長い年月をかけて雨や風に削られて今の稲佐山が残った。港を囲む山々は火山活動によって形づくられたものだったのだ。長崎港のある入江は火山に囲まれた「谷」だった。この地形の奇跡が、香港、モナコとともに「世界新三大夜景」となる。もちろん、ロープウェイに乗る人たちは火山のことなど気にせず夜景を楽しんで良い思い出を作るといい。

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ちょっと地理人情

大村湾は湖なのか、海なのか

長崎から北へ向かう列車は、大村湾の岸に沿って走る。大村湾は陸に深く囲まれた内海で、佐世保湾を経由した外海とは細い瀬戸でつながっている。その一つが早岐(はいき)瀬戸で、まるで川のような海が早岐の町に沿って流れる。他に針尾瀬戸というものもあるが、大村湾が外海とつながるのはこの 2 つの瀬戸しかない。車窓から見た湾の水面が、海というより湖のように穏やかに見えたのはそうした理由による。ここに暮らす人々は穏やかな性格の人が多いのではないかと、つい妄想してしまう。

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