2024年10月8日火曜日

エッセイ|東北湯けむり温泉|山形・宮城

テーマ:『好きなもの』

年2回ほどローカル線で日本を旅している。2024年10月には、かねてから気になっていた出羽三山(でわさんざん)をローカル線で訪れた。出羽三山は山形県の北側に鎮座する三つの霊山、月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)、湯殿山(ゆどのさん)、の総称である。伝承では西暦593年の推古天皇の頃に開山されたという。最も標高が高いのは月山(1,984m)で、山頂まで登るつもりでいた。しかし10月半ばで既に閉山していた。スキー場が4月にようやくオープンするほど冬の雪は深いようだ。やはり修験場を甘く見てはいけない。

出羽三山

しかし今回の本題は出羽三山ではない。日本人の多くが好きなもの、「温泉」である。ローカル線で東京を出てから、福島を経由し山形へ。帰り路は山形県新庄から宮城を経由して帰京するルートだったが、そのうち二つの「熱い」路線を通る機会を得た。

一つは、山形県米沢駅から新庄駅までの奥羽本線。本州の内陸深くに米沢盆地があり、北へフルマラソンを走るほどの距離に山形盆地がある。米沢駅から山形駅までは10駅。その間の2つの駅名に「湯」と「温泉」が付いていた。「赤湯駅」の赤湯温泉と「かみのやま温泉駅」の上山温泉は、いずれも駅から比較的近い場所に温泉地区がある。さらに山形駅から新庄駅方面へ北上すると、駅名にはなっていないものの「天童温泉」、「東根(ひがしね)温泉」などが路線付近に点在していた。

この旅で山形県には温泉が多いと初めて知った。山形県は、温泉地の数では都道府県別で14位である。参考までに1位は北海道、2位は長野県、3位は新潟県となっている(環境省「令和5年度温泉利用状況」より)。路線沿いに限定しなければ、他にもジブリ映画のモデルになったと噂される人気の銀山温泉や、蔵王温泉、肘折(ひじおり)温泉など豊富に存在する。ここまで挙げた温泉のうち、この旅では天童温泉の日帰り温泉施設「はな駒荘」でゆっくりすることができた。なお泉質を問われても疎いため、そのことには触れずにおく。

山形盆地の温泉地

なぜこれほど鉄道路線沿いに温泉地が多いのか。ひとつ推測がある。地形だ。元々温泉が多く湧く場所に、平地という好条件が重なったからではないだろうか。本州の中央部であれば本来なら山深く鬱蒼とした場所のはずである。天のいたずらか、偶然にも山形市を中心として南北に盆地が連なった。必然的に人の往来が激しくなり、道ができ、ついには鉄道も通るに至る。温泉も多く湧いている。そうして「熱い」路線が誕生した。他愛もない空想が湯のように湧き上がる。

さてもう一つの「熱い」路線である。それは山形県北部の内陸から太平洋側へと向かう陸羽東線(りくうとうせん)。新庄駅から宮城県の小牛田(おごた)駅まで27駅ある。そのうち6つもの駅名に「湯」または「温泉」が付く。瀬見温泉駅、赤倉温泉駅(ここまで山形県)、中山平(なかやまだいら)温泉駅、鳴子温泉駅、鳴子御殿湯駅、川渡(かわたび)温泉駅、の6駅だ。陸羽東線の愛称が「奥の細道湯けむりライン」というのも納得がいく。

陸羽東線 鳴子温泉駅

今回は鳴子こけしの産地でもある鳴子温泉エリアを訪れた。「なるこ」と濁らない。昔の名残りで地元では「なるご」と発音することもある。前年の大雨の影響で新庄から鳴子温泉まで鉄道が運行休止中だったため、代行バスでの到着となった。

鳴子こけし

鳴子温泉駅でのバス降車時、にわかに騒ぎがあった。足の不自由なご婦人がバスのステップから降りられずにいた。その高さ50センチほど。列車の時間も迫っている様子で、運転手は当てもないまま踏み台か何かを探しに行ってしまった。この状況下ではもはや、背負って差し上げるのが一番良い方法ではなかろうか。それをご婦人に提案すると何かを気にされてか少しごねたが、半ば急かすように背中に乗ってもらう。ゆっくりと屈んでいき、二つの足が地に着くのを見た。そのときはさすがに安堵した。たかが50センチ。されど人によって断崖の高さにもなるとは人生の妙である。「袖振り合うも多生(たしょう)の縁」とでも言える出来事であった。

さて鳴子温泉である。温泉街は昭和の雰囲気を残している。鳴子温泉の名を有名にしているのは、日本にある11種類の泉質のうち8種類が湧くと言われるためである。立派なホテルも建ち並び、日帰り温泉で気軽な湯治客をも引き寄せる。せっかくだからと、それらの客に混じって2軒の湯をハシゴした。

鳴子温泉街

まず一軒。鳴子ホテルは創業150年以上の老舗ホテル。格式が高めではあるが、スッと筋の通った佇まいが建物から感じられる。温泉施設も同様で、広々とした空間が優雅で贅沢な時間を生み出していた。もう一軒は大江戸温泉ますや。こちらも立派なホテルだが少しフランクな雰囲気。受付の女性もどこか軽やかだ。浴場も、ガラス越しの景色にこだわったり、壺の湯船があるなど楽しんでもらいたい心意気が伝わる。どちらの湯もそれぞれ印象に残るものであった。

鳴子ホテル

夜は宿泊のため鳴子御殿湯駅へ。高友旅館はかなり年季があり、館内の薄暗い電灯が歳月に重みを加えていた。部屋に案内され、恐る恐る入る。なんだ、よく手入れされた小綺麗な部屋ではないか。内心ほっと胸を撫で下ろした(そのあと一匹のカメムシとの格闘はあったが)。さてこの旅館、温泉マニアに好評の黒湯があるらしい。さっそく入ってみると、確かに黒く濁っている。これが湯の花か、とも定かではないまま暫し体を沈める。ただ、どうにも浴室施設の年季ばかりに目がいってしまう。これをあと何年維持できるのか。マニアが選ぶほどの湯を経済の力学で守る術はないものか。などとぼんやり思い巡らせてはいたが、なんとも落ち着かなくなり早々に上がってしまった。夕食は良い意味で期待を裏切られ、大変に豪勢であった。しかしなぜか、かえって一抹の寂しさも感じた。

高友旅館の黒湯

二つの「熱い」路線を書いてきた。地質のことも気になり調べてみたが、なるほど活火山が蔵王と鳴子に存在していた。火のないところに湯けむりは立たないのである。そして温泉があるから人も集まる。皆、温泉が好きなのだ。それにしても遠くの温泉地へわざわざ足を運ぶのもご苦労なことである。温泉が好きなら近隣のスーパー銭湯でも良さそうなものではないか。そうしてふと、「もしや?」という湯気のような妄想が浮かんだ。結局のところ、日常から離れた別世界で温泉に浸かり、「ほぉ~」とか「ふぅ~」とか息を漏らしている“自分のこと”が好きなのではないか。自分を好きになれる場所が温泉なのではないか。

本エッセイは、『市民による市民のためのちいさなDIYマガジン「Link -リンク-」vol.20 夏号』にも掲載されました。(発行:おおたFab、東京都大田区西蒲田4-7-7 6F/発行日 2025.04.01/https://ot-fb.com/shop

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